Mar 08, 2009

私が見た多くの結婚式場

私は自分の結婚式の時に多くの結婚式場を見に行きました。私の結婚式場を見るのは、礼拝堂です。チャペルが自分のイメージ通りかどうかの結婚式の画像が変わります。私は白いチャペルが良かったので、多くの結婚式場の中で熱心に選択しました。きれいなイャ良かったです。
婚活目的の出会いの場を提供するパーティーがよく行われているが、しばらく前のパーティーのサクラで参加して、目的の友人から依頼があった。ホンファルドいないのに、桜参加するには、悪いアイデアではあったが、人数が集まらず中止されるよりも人を助けると、説得して参加をした。参加したが、柔らかいというより戦いのようにパーティーだった。
 兵庫県警葺合(ふきあい)署は22日、5月に試合前の控室で同僚レスラーを殴って重傷を負わせたとして、傷害の疑いで、「TARU」のリングネームで活動していたプロレスラー・多留嘉一容疑者(47)と正田和彦(リングネーム・MAZADA)容疑者(36)を逮捕した。当時プロレスラーだった平井伸和さん(41)を殴り、急性硬膜下血腫の重傷を負わせた疑い。2人は「日ごろの態度が悪いことを叱ったが、反省の色がみられないため殴った」と供述している。

 多留、正田両容疑者の逮捕容疑は、5月29日午後1〜2時ごろ、全日本プロレスの試合を控えた神戸市中央区の「神戸サンボーホール」会議室で、出番前のプロレスラー、平井さんの顔面を拳で殴った疑い。平井さんは暴行を受けた後、試合に出場したが、試合後に倒れて意識不明となり、緊急開頭手術を受けていた。

 葺合署によると、平井さんは意識は回復したが重度の記憶障害などが残り、現在も入院中。面会謝絶の状態が続き、全日本プロレスも詳しい病状を把握していないという。平井さんの母親が10月に傷害容疑で告発。捜査の結果、試合前に殴られたことが原因と判断した。

 平井さんは力道山の付け人だったプロレスラー、故ミツ・ヒライの息子。1991年にプロデビューし、99年に全日本の所属選手となった。主に前座の試合に出場していたが、2008年10月に多留容疑者がリーダーを務める悪役ユニット「ブードゥー・マーダーズ」入り。リングネームを「スーパー・ヘイト」と改めた。

 多留容疑者は、悪役ながらもサービス精神旺盛なレスラーとして知られ、地方巡業ではご当地の名産物を対戦相手の口に押し込むなどユーモラスなファイトで人気に。阪神大震災で被災した経験から、東日本大震災では「やらぬ善より、やる偽善」をテーマに義援金募金を呼び掛けていた。

 平井さんを悪役レスラーとして育成する立場にあった多留容疑者らは、平井さんに暴行した動機について「日ごろの態度が悪いことを叱ったが、反省の色がみられず殴った」と供述している。両容疑者は5月の事件後、プロレスラーとしての活動を停止している。

 ◆TARU 1964年8月23日、兵庫県神戸市出身。47歳。1995年の阪神大震災での被災をきっかけに、空手家の経験を生かしてプロレスデビュー。2004年に悪役レスラーの軍団「ブードゥー・マーダーズ」を結成した。2006年8月の馳浩引退試合では、リングサイドで観戦した森喜朗元首相を襲撃するパフォーマンスを見せて、話題を呼んだ。185センチ、110キロ。

 ◆MAZADA 1975年5月23日、福井県三国町出身。36歳。95年11月、プロデビュー。メキシコ修行を経て2004年から全日本プロレスに参戦。172センチ、87キロ。

 ブータン国王夫妻歓迎の宮中晩さん会を欠席し、民主党議員のパーティーに出席していたことが問題視されている一川保夫防衛相(69)が、ブータン国王の名前を把握していなかった可能性が22日、浮上した。

 参院外交防衛委員会で、自民党の佐藤正久氏(51)から「そもそもこれだけ非礼を働いたブータン国王のお名前、ご存じですか」と尋ねられると、一川氏の耳元に秘書官がヒソヒソ。一川氏は「すんません…ワンチュク国王、と思います」と恐る恐る答弁した。佐藤氏からは「秘書官から出されて答えるようでは、やっぱり心がないんですよ。反省しているなら国王の名前、分かりますよ!」と、怒られた。

 その後、一川氏は、ブータン総領事館を訪れ、宮中晩さん会欠席を大使に謝罪。「ブータンと日本の友好関係を増進できるよう努力したい」と伝えた。

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 −−首相在任中、靖国神社に参拝しなかったのは

 「首相時代は靖国に『行くか行かないかを言わない』という姿勢を取った。それはまず、日中関係を改善し、安定的な関係に戻し、拉致問題への協力、日本の国連安全保障理事会常任理事国入りへの支持などを得るためだ。その上でしかるべきときに参拝しようと考えていた」

 −−その際、中国にはどう接したのか

 「靖国参拝の中止を要求されても絶対に『参拝しない』とは言わず、靖国にはいつでも行けるというフリーハンドを持ち続けることを原則とした。そのことによって(日本の首相の靖国参拝が国内政局不安定化に直結する)中国政府に対する主導権を握った」

 −−それは成功したか

 「外交的にはさまざまな批判や見方はあるかもしれないが、所期の目的は果たした。しかし、それ以来、首相の靖国参拝が途絶えたことでは禍根を残したと思っている」

 −−参拝すべきだったと

 「(平成18年10月の)私の訪中後は、日中関係はもう後戻りができない(相互依存の)関係になっていたから、翌19年の春秋の例大祭か夏(終戦記念日)に参拝しようと思っていたが、秋の例大祭の時点では首相を辞めていたので時機を逸してしまった。春か夏に参拝すべきだった」

 −−19年4月の日米首脳会談で、慰安婦問題でブッシュ米大統領に謝罪したとされたが

 「ブッシュ氏が記者会見でそう述べたが、会談ではその話は全く出ていなかった。そもそも日本が(当事国でもない)米国に謝罪する筋合いの話ではない」

 −−首相官邸などを通して訂正を申し入れることはできなかったのか

 「今、相当の時間がたったので言えるが、すぐに訂正を求めればよかった。ただ、共同記者会見で大統領が言ってしまったことについて、その場で『私はそんなこと言っていない』と否定するのも(外交儀礼上)難しい。事後に訂正を申し入れるのは可能だったろう」(阿比留瑠比)

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