Oct 12, 2009
会社設立に成功した近所の主婦
私の近くに会社を設立して成功している人がいる。前は普通の主婦だったのに、いつの間にかあれよあれよと成功して、今は自分のお店とインターネット販売で有名なお店になった。思い起こせば子供がまだ幼稚園に通っていた頃、その時からその片鱗は見せていた。海外での衣料品を輸入して3日ほどガレージ店を頻繁に開催していた。 "これどうしたの。どのように輸入した"と尋ねると、"これは趣味だ"とした。その数年後に会社設立を某有名サイトに出店して、バイトも雇って自宅では手狭だと土地を購入して2階の店を作ってしまった。近くにこのように成功している人がいるから、自分も何かを熱心にしようとする。企業が自分の会社を作りたい人も多いでしょう。しかし、お金がない。そんなことはありませんか。でしたら、銀行からの事業資金を融資してもらいましょう。これにより、働いている人ならば、事業者の金を数百万円もらえるかもしれません。もし成功すると、銀行に返す以上のお金を自分の財布に入れることが可能かもしれませんよ。
ミャンマーで野球発展に尽力している日本人がいる。元国連職員で、ミャンマー代表チーム総監督の岩崎亨さん(55)。強化策の一環として今月、同国チームのエース、ヤンパインウーさん(20)を社会人野球の強豪、東邦ガス(名古屋市)に短期間ながら研修生として送り出した。自身も1カ月間、名古屋で寝食を共にし、「もう一つ上のレベルに育ってほしい」と教え子の成長を見守っている。【黒尾透】
岩崎さんは横浜市出身。95年から国連薬物統制計画ミャンマー駐在代表を務め、国連退職後の98年からは国際協力事業団(当時)で周辺国も含めた覚醒剤取り締まり運動を手がけた。00年に現地の人から野球連盟発足について相談を受け、草野球チームの経験しかなかったものの、代表監督を引き受けた。
裸足の選手たちと最初に取り組んだのは球場づくり。ラインも石灰を砕いてまいた。国際協力事業団を辞めた後もそのままミャンマーに残り、旧首都ヤンゴンで幼稚園の運営などをしながら現在まで同国野球連盟顧問を務め、代表監督から総監督となった。代表チーム選手のほとんどは幼稚園で働き、岩崎さんが代表のクラブチーム「IMIベースボールクラブ」に所属している。これまでの苦労を昨年11月、「ミャンマー 裸足の球児たち」(アットワークス刊)にまとめ、発刊した。
今回の研修は、岩崎さんが東邦ガスの佐伯卓社長と知り合いだったことから実現した。今月14日に来日したヤンパインウーさんの滞在は3カ月間の予定。午前中に岩崎さんの指導で日本語を勉強、午後から東邦ガスの練習に参加している。ビザが更新できれば都市対抗野球大会も見学したい考えだ。東邦ガスは同大会3年連続出場の強豪で、ヤンパインウーさんは「レベルが高く素晴らしい。頑張りたい」と言う。
岩崎さんは「11月にある東南アジア大会で活躍できるよう、技術を習得してほしい」と期待を込める。
■明石、行政支援生かせず 球団名敬遠 スポンサー辞退
球団には「公共財」としての存在意義がある一方で、営利追求する「私企業」の側面がある。これが、自治体の支援を要請する際、ある意味で障害になる。野球だけでなく、多くのスポーツ団体が存在する現状で、球団という一企業だけに、行政側としては、特定の便宜を図りづらいのだ。
そんな中、関西独立リーグの明石は、明石市からの支援を受け、経営をスタートさせた。当初は播磨地域の4市2町を拠点に「播磨レッドソルジャーズ」と名乗る予定だったが、チーム名に「明石」を入れることで、明石市が運営面での支援を約束。球団後援会の会長は明石市長、球団事務所も市の施設内に提供されるなど、手厚いバックアップ体制が敷かれた。
ただ、皮肉なことに球団名の「明石」がネックとなり、姫路など県西部の有力スポンサーが相次いで辞退。選手給与20万円の初年度の予算計画は年1億円。しかし、人口29万人の明石の経済規模で、数千万円規模の大口スポンサーを見つけるのは困難。財政状況は、当初から逼迫(ひっぱく)した。本拠地の明石球場には照明設備がなく、真夏もデーゲーム。そうした影響か一昨年の主催36試合の観客動員は1万8959人。1試合平均527人と、採算ラインの2000人を大きく下回った。
さらに、後援会への市職員の派遣などが問題視され、市長を提訴する住民訴訟が起こった。市側は結局、一昨年12月に球団への支援策を事実上撤回。これで、市民球団としての存在意義が、完全に失われてしまった。
昨季の観客動員も主催34試合で3435人と激減し、昨季閉幕直後には選手全員と契約解除。球団職員も大村節二球団社長のみとし、経営立て直しを図った。しかし、大村社長は昨年末、体調を崩して入院、1月11日に死去した。現在、球団の運営は事実上の停止状態で、リーグ側は近日中の代表者会議で、明石の脱退を決断せざるを得ない状況になっている。
大村氏は兵庫県初のクラブチーム「全播磨硬式野球団」を創設するなど、県のアマ野球発展に寄与した。野球にささげた74年の生涯。その大村氏の“志”を受け継ぐ環境は、残念ながらいまだ、整っていない。(喜瀬雅則)
【関連記事】
独立リーグ・新潟、元ヤクルトの高津を獲得
球団財政は親頼み 独立リーグ相次ぐ経営撤退
マック鈴木が監督就任へ 関西独立リーグ
吉田えり、今年も海外挑戦 米ウインターリーグに
大阪ゴールドビリケーンズが経営断念 野球独立リーグ
対テロ戦10年目のアフガニスタン 「自立」を手にする日は…
昨年、都市対抗野球に初出場した日本製紙石巻(宮城)で、宮城県出身の太田裕哉投手(22)がエースを目指して奮闘している。在籍2年目。ヤクルト5位入団の久古健太郎投手(24)とともに日産自動車から転籍してきた昨年は、左肩痛の影響で満足な投球ができなかった。「久古さんに続くぞ!」。万全の状態で迎える今季、投手陣の柱となる。
【写真で見る】新エースに名乗りを上げた日本製紙石巻・太田
室内練習場に、乾いたミットの音が何度も響き渡る。太田が気迫のこもった投げ込みで、復活へ猛アピールだ。
「自分を必要としてくれた監督やコーチたちに恩返しがしたい。結果にこだわって、先発でどんどん投げたい」
岩手・一関学院では3年春に甲子園出場。09年に日産自動車へ進んだが、野球部の休部に伴い昨年、日本製紙石巻に転籍した。チームは太田とともに日産自動車から転籍した久古の活躍などで都市対抗に初出場したが、太田は左肩痛に悩まされて不本意なシーズンに終わった。
久古がヤクルトに入団して抜けた今季、木村泰雄監督(49)は「太田と沖山(勇介投手)には頑張ってもらわないといけない」と名前を挙げて期待感を口にした。昨年は登板後に痛みが出た左肩も、筋トレやストレッチなどで肩周辺を継続的に強化。期待に応えようと必死に再発防止に努め、「今は痛みはまったくない。投げられる喜びを感じています」と笑顔だ。
復活へ向け、投球フォームの改造にも着手した。両肩の高さや左腕の位置などを、肩に負担のかからないように修正。昨年11月から取り組み始め、センバツ出場時の映像を見たり、シャドーピッチングで細部を確認したりしてフォームを固めてきた。まだ完全ではないが、「だいぶ本来の姿になってきた」(木村監督)と手応えを感じている。
チームは、2年連続2度目の都市対抗出場を目指す。
「久古さんがいなくても、都市対抗に出られるというところをみせたい。今度は自分の手で、という気持ちは強い」
太田は、左腕から最速144キロの直球にスライダー、スクリューなどの変化球を駆使し、潜在能力は高い。久古のプロ入りは刺激になった。今年は“復肩”した太田を、プロのスカウトが注視する年になりそうだ。
【関連記事】
日本製紙石・久古、粘投も悔し/都市対抗
燕・D5位久古“左打者には打たせない”
燕5位・久古、小川監督から“プレゼント”
七十七銀行“ポスト小林”の競争激化!
安祐美監督初仕事、茨城G・Gがトライアウト
WriteBacks
writeback message: Ready to post a comment.