Jul 26, 2011
PCとプリンタで名刺を作成する
私の妹の名刺を作成することがあります。仕事をまだしていない学生が、学会などで会った人は、まず名刺を配るようになっているようで、お金もないので、直接PCとプリンタで名刺作っています。名刺作成ソフトがそれの中から好きな形式を選択した後、自分の好みの用紙を準備して印刷します。先日、最初に名刺を作成、データ入力の仕事を経験しました。細かい作業や繰り返し作業は、比較的上手なので、とても楽しくしています。継続したかったのですが、時間の都合で一時間くらいしかしていません。次の日もやろうと思えば、もう終わっていました。なかなか名刺を作ることができないのが残念です。今回は、インターネットで見つけたです以下に見つかった場合は、じっくりと努力したいと思います。
【石垣】台湾の新発航運(台東市、許志雄社長)が年内にも台湾・基隆―石垣―宮古島間に貨物船を就航することが分かった。同社の許社長、台湾の国会議員に当たる立法委員の頼坤成氏らが24日、竹富町、石垣市、県八重山事務所を訪ね計画を伝えた。有村産業の経営破綻で路線が廃止された2008年以来、3年ぶりに宮古・八重山と台湾を直接結ぶ貨物船が就航することになる。
就航する貨物船はパナマ船籍で積載総貨物量は1500トン。
中古船を同社が買い取り改修中で、早ければ9月にも就航する。運航は週1便を予定している。
現在、船便による宮古・八重山地方と台湾間の物資輸送は本島を経由しなければならない。
直接航路が就航することで時間と費用の低減が期待できる。
中山義隆石垣市長は「有村の路線が途絶えた時から台湾からの品物が減った。経済の交流がなければ本当の交流にならない。台湾と八重山広域圏で意見交換しながら交流を進めたい」と路線就航を歓迎した。
立法委員の頼氏は「台湾東部と八重山は自然環境、経済環境が似ているので、密接な関係を持ちながら交流したい。補助金を出して航空便も毎日就航できるように国会で活動する」と話した。
許社長は「交通が良くなれば交流も深まる。貨物船の次は客船も就航させたい」と話した。
沖縄のIT(情報技術)産業の市場開拓やアジア諸国の市場トレンドなどを学ぶ「アジアIT人材交流研修会」(沖縄総合事務局主催)が24日、県市町村自治会館で行われた。
パネル討論では、県内外の情報通信業界の専門家が参加し、中国や台湾、カンボジア、エストニアなどのIT産業の事例を通しながら、沖縄の可能性について議論した。
専門家からは「県内の各企業は国際化へ向け、自らの強みや特徴を再考するべきだ」「中国などアジア各国のスケールメリットを生かすためにも、共同開発のパートナー関係をきちんと結ぶ必要がある」などの指摘がある一方で、アジアとの交流の歴史にも言及。グローバル経済の進展やクラウドコンピューティングなどの新たな潮流の中で、アジア諸国との人的交流、情報交流、物的交流の一層の推進の必要性を再確認した。
県商工労働部の小嶺淳産業雇用統括監が講演し、県がうるま市のIT津梁パークに整備している「アジアIT研修センター」の機能について説明。センターの活用による高度なIT人材の育成などを重要課題に挙げた。
◇両親介護、途方に暮れる男性
東京電力福島第1原発事故で、計画的避難区域になった飯舘村から、隣接する伊達市月舘町相葭(あいよし)地区の住宅に避難直後、放射線量が推定年間20ミリシーベルトを超える「ホットスポット」と分かり、途方に暮れている男性がいる。政府は近く、伊達市内の「ホットスポット」を住居単位で「特定避難勧奨地点」に指定し、避難を支援する方針だが、強制ではないため、再び避難すべきかどうか迷っている。【石川隆宣】
今月16日に避難してきた佐藤吉男さん(52)は、寝たきりの父親(79)の介護と、足が不自由な母親(79)の面倒をみている。
佐藤さんは稲作で生計を立てていたが、3年前に首や腰を痛め、満足にかがめなくなった。「足元のものが取れねえんだ」。父親は04年にぼうこうがんを患い、寝たきりに。週1回の訪問看護も南相馬市の業者が津波で被災した。
母親も7年前に骨折し骨を金属でつないだ左足が芳しくなく、昨年11月には心臓の弁を交換する大手術をしたばかり。思うような暮らしができない中、起きたのが原発事故だった。
役所が用意した避難先では介護スペースが確保できず、つてをたどって伊達市の山あいの民家を「借り上げ住宅」にしてもらい、引っ越した。家賃負担はないが、トイレがなく、仮設トイレを玄関前に置いた。水道もなく、湧き水を家の中で使えるようにし、ガス工事など約40万円を、義援金や東電の仮払補償金から捻出した。
「ようやく落ち着いて暮らせる」と思ったのもつかの間、今月20日に郵便配達員から、相葭地区が、毎時5・1マイクロシーベルトと伊達市内で最も高い放射線量だったことを知らされた。湧き水も汚染が怖くて使えず、週4個のポリタンクの水でしのぐ。父親のひげもそれない日の方が多い。
「紙おむつを交換して体拭いてやるのにも足りねえ。もうめちゃくちゃだ」。妻も実家の両親の面倒を避難先で見ており、離ればなれの日々が続く。
佐藤さんの避難宅が指定されるのかはっきりせず、再避難も両親のことを考えると決断できない。「原発が危ねえなんて考えたことはなかった」と言葉少なに肩を落とした。
6月25日朝刊
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